「ねぇ、あなたはどこに向かって歩いているの?」
「僕が行きたい所だよ」

「それはどこにあるの?」
「この箱庭の果て、そう最果てにあるんだ」

「箱庭だなんて!バカみたい!最果てなんてあるものですか」
「まるで世界の全てを見てきたような口ぶりだね」

「この世界が箱庭だなんて!」
「ああ、君。羊の数を数えるだけじゃ、いい夢は見れないんだよ」


2013-10-17

peter caxton・1


自分の文章だったり物語だったりをこうしてブログサイトで綴っていくからには、彼のことを避けて通ることは出来ないだろう。

ピーター・キャクストン。

今ではどこでどうしているのか、生きているのか死んでいるのかさえも分からない。でも、きっとどこかの酒場でまた誰かに嘘か本当か分からない話をしてニヤリと笑っているんだろう。喋り過ぎて温くなったビールを不味そうに飲むんだろう。そしてグラスを持つ反対の手でカウンターを鍵盤に見立てて叩くんだろう。いつもそうだったし、そうであって欲しいという僕の願望かもしれない。

音楽の世界から言葉の世界にやってきた詩人、ピーター・キャクストン。
嘘と真実が渦巻く言葉の世界に僕を引き込んだのは、彼だった。


2013-10-01

誰にでも書ける

文章は誰にでも書ける。義務教育を卒業していたら、たいていのものは書ける。現に多くの人がブログを書いてツイッターでつぶやいて情報を発信している。誰にでも書けるのだ。しかもセンスのいい人たちは山ほど居る。その誰でも書ける文章で報酬をもらう自分は厚かましいのだろう。

誰でも書ける文章ではあるが、なかなか書けない「すごい文章」というのはある。文豪と呼ばれた作家たちの書く文章の美しさはどこまでも美しい。トップを走り続けるコピーライターの書く一行のコピーにハッとさせられる。寝ることを惜しむ程に読み手を引き込む筆力を持つ数多の作家たち。

推測なんだけど、上手く書こうとか売れようとかは思ってないんじゃないかな。これを書かないと自分がどうにかなってしまいそうだとか、素直に感じたこととか、このイメージをなんとか色んな人に伝えたいなとか、その自由な想いにセンスと技術が合わさってるんだ。枠のない自由な発想をカタチにすることは誰にでも出来ることじゃないんだろう。それが少ーしだけ出来るから報酬をもらってるんだ。もらえないときもあるんだけどね。

だからもっと自分の枠を外していきたいんだ。



2013-09-11

Independent Text Label


zineレーベルとして動き出していこうとしていたが、この夏の間、色々考えていた。自身のこと、技術のこと、このレーベルのスタンスのこと。

自身については人間としてどうなのよというレベルでの考えと修正。正直なところこれまで「真面目に頑張り過ぎ」ていた。誰かの期待に応えようとなんて思っちゃいかん。それは自分の本懐ではない。自分の期待だけに応えておけばいい。期待値ゼロで生きていくためには自分自身をコントロールしなくちゃならない。そのためにこの夏は生活リズムを変えることに必死だった。

技術はそうね、トータルクリエイターとしてやってきたけど、やっぱり自分には文章がしっくりくるような気がする。デザインやったりしてるけどあくまでもそれは「セカンダリ」。「プライマリ」は文章だと思う。「このレベルのデザイン力でよければやらせてもらいますが・・・」ってお断りを入れなきゃダメなレベルだからな。やっぱ順序は大事だよ。

となると自ずとこのブログのスタンスも変わるよね。zineは自分の文章でアウトプットする形の一つ。それに限定してしまうのはもったいないわ。ラジオCMなどのお仕事も一つのアウトプット。ブログも一つのアウトプット。

自分らしいアウトプットをしてくことにするから、このレーベル、ちょっと変えたんだわ。

2013-04-24

第十六回文学フリマin大阪に行ってきた


これまで東京で開催されてきた「文学フリマ」が初めて大阪で開催された。
文学に特化した自費出版物および制作物のマーケット。
己が「これこそ文学である」と言い張れば文学としてのカテゴライズが成立する。

「本」それも「自主制作本」のイベントといえば真っ先にコミケが挙げられる。が、ビッグサイトに行ったこともなければインテックスに行ったこともない。ましてやこのような「文字がメイン」である「自主制作本」のイベントは大阪では聞いたことがない。(果たして東京や他のエリアではあるのか知らないが)

各地から集まった作家やサークルが出店している。
積極的に声をかけてくる人。ひたすら眠っている人。話しかけるとはにかみながらも返してくる人。色んな作家さんがいたが、作風やキャラクター、表現方法はどうあれ、「これが自分の作品だ!」と見せる気概にあふれている人たちが集まっていた。

実にシンプルな感想だが、刺激を受けた。
作家としてクリエイターとして、場合によってはプロの物書きとして、大いに刺激を受けた。

来年この文学フリマが開催されるかどうかは未定だそうだが、ぜひ定着してほしいなと願っている。
もし次回、大阪で開催される機会があれば出店してみたいなと思った。




2013-02-25

37℃の感覚


インプットに耐えきれなくなった瞬間からアウトプットが始まる。

『37℃』

頭のどこかがぼんやりして思考が堕ちる。
そこから何か別の感覚が研ぎすまされていくかのよう。

ほんとにこんなこと書いていいのかな?こんな写真でいいのかな?こんなイラストでいいのかな?こんな段組みでいのかな?ほんとに本なんて作ってもいいのかな?
平熱だったら考えて動けなくなることでも微熱だったら大丈夫。あれは何かの熱で突き動かされていたに違いない。そう後で思えるのが微熱のいいところ。ふわーん、ふわーん。いつもより少しだけ変な感じ。

そんな感覚に時々なれたらいいなと思ってる。

2013-01-29

book 37+c、はじめます。


随分と時間が経ってしまった。
やろうやろう、作ろう作ろうと思いながら、「忙しくて」「バタバタして」と言い訳しながらじわりじわりと進めたりふらりふらりと飲んだくれてたら一年が経ってました。

自分で個人的なレーベルをやろうなんて事(私的にはとても大それた事)考えたこともなかった。ではなぜそれをやろうと思いついたのか?それはデジタルにどっぷり浸かった自分にとって「zine」という超アナログな存在がそれだけ衝撃だったからだ。

本とは、書籍とは、こういうもので「なければならない」・・・という概念を根底から返して、なおかつバカボンのパパよろしく「これでいいのだ」と言い切って誇らしげに笑っている。そう、「こういうやり方もあるのか」というよりも「ああ、これでいいのか!」と感じたのだ。まさにコペルニクス的転換。

アートユニットTriggerでアートブック『17+C』と『蜆楽奇譚帖』を作って、それぞれ二つのクリエイターイベント(「Creative Expo 2011 本の種を植える」「My Home Town わたしのマチオモイ帖」)にブチかましてた頃だ。たぶん2011年の秋頃だったか。で、何か参考にと大阪・中崎町のzineショップ「Books DANTALION」を訪ね、初めて「売り物」のzineに触れた。その統一感のない自由さが刺激的だったが、何よりもzineとリトルプレスの数に驚いた。

「こんなにたくさんの人が本を創って売っている」

知らなかった世界だが、もう知ってしまった。
日本だけでなく、世界中のどこかで誰かがzineを作って出版している。
そんなにたくさんいるんだったらやってみようか。
zineの存在みたいにゆるくてどうしようもなく勝手気侭な自分だけのレーベルを作って遊んでる、そしてそのレーベルを作るのに一年ほど掛かってしまった、そんなどうしようもない大人とゆるいレーベルがあってもいいかなと。

そんな感じで、はい、はじめます。