「ねぇ、あなたはどこに向かって歩いているの?」
「僕が行きたい所だよ」

「それはどこにあるの?」
「この箱庭の果て、そう最果てにあるんだ」

「箱庭だなんて!バカみたい!最果てなんてあるものですか」
「まるで世界の全てを見てきたような口ぶりだね」

「この世界が箱庭だなんて!」
「ああ、君。羊の数を数えるだけじゃ、いい夢は見れないんだよ」


2020-05-04

心の中にいるオオカミの話

『チェロキー族の老人が孫にこんな話をした。「人の心の中では、いつも二匹のオオカミが争っている。片方のオオカミの名は《不安》、もう一匹のオオカミの名は《希望》だ。そいつらはいつもお互いに食ってやろうとにらみ合っている。もちろんお前の心にもいる」すると、孫がこう尋ねた。「どっちのオオカミが勝つの?」と。老人は孫の目を優しく見つめて「お前が餌をやった方さ」と答えた』

「・・・どうだ?面白い話だろ?」と得意げにしゃべる友人は続けてこう言った。「つまりはさ、自分の心掛け次第ってところなんじゃねえの?」と。俺は、そうか、そうだよなと独りごちながらグラスに残ったぬるいビールを染み干した。区切りがついたのだろう、友人は「便所」と言い残して席を立った。

俺はオオカミの話を頭の中で反芻していた。《不安》と《希望》、確かにこいつらは俺の心の中にもいる。いや、他にもいる。まず《怠惰》がいるな。もしかしたらこのボンクラオオカミに一番餌をやっているかもしれない。《憤怒》もいるし《悲哀》もいる。《快楽》は当然いるとして《依存》にもかなりの餌をやっている。《至福》もいるし《断念》も《敬愛》もいて、ああ《安穏》もいるな。・・・多いな。全員で食い合おうとしているのか。大変だな、こいつらも。

戻ってきて早々に、皿の上のオリーブをプラスチックのピックでつつき出した友人に、自分の中に二匹どころではないたくさんのオオカミがいたことをつぶさに話した。「11匹いる!」と笑った友人は、それもうトーナメントにしたほうがいいよねと言った。

優勝したオオカミに餌をやるのか?いや、多分俺は11匹のオオカミみんなに餌をやるだろう。で、よしよしって撫でてみんなで一緒にぐっすり眠るんだよ。そう言うと、友人は「君らしいね」と微笑んで、ピックに刺さったオリーブをかじったんだ。


【〜現実と虚構の間を歩く〜 37+c 】