マチオモイ帖の原稿を印刷に出した。明日には刷り上がってホッチキスと両面テープで自家製本をしていく。物語のような詩のような散文のようななんともはっきり分からない自由過ぎる文章を12編書いた。
いろいろ思い出して何かと何かを組み合わせて構成する。コラージュってこんな感じかな。例えばあの人の人格とこの人のエピソードを合わせて一つのキャラクターにしたり、印象的だったアイテムを関連の無い場所で使用させてみたり。結果、ノンフィクションのパーツを使った、「フィクション」が出来上がった。
きっと知らない人が読んだら体験談だと思うんだろうけど、全然違う。でも全てを説明する事が出来る。
このお話を作るにあたって色んな人を思い出した。お世話になった皆さんは当たり前なんだけど、それこそ一回しか喋った事のないような人を急に思い出したりした。記憶の引金ってあるんだなぁ。
書き上がった日に、大学の恩師から「元気にしてますか?」ってメールが来たのは驚いた。ただ、この本を先生に送るのはちょっと気が引ける。そんなナイーブなキャラじゃなかったじゃんって言われそうで。
「ねぇ、あなたはどこに向かって歩いているの?」
「僕が行きたい所だよ」
「それはどこにあるの?」
「この箱庭の果て、そう最果てにあるんだ」
「箱庭だなんて!バカみたい!最果てなんてあるものですか」
「まるで世界の全てを見てきたような口ぶりだね」
「この世界が箱庭だなんて!」
「ああ、君。羊の数を数えるだけじゃ、いい夢は見れないんだよ」
2014-02-12
2014-01-09
マチオモイ帖
大阪の「メビック扇町」と「東京ミッドタウン・デザインハブ」で開催される『マチオモイ帖』に出展することにした。2012年にはTriggerとして「蜆楽奇譚帖」という作品を発表している。2013年はパスした。テキストはほぼ出来ていたが「蜆楽奇譚帖」のとき以上の熱量が自分の中で感じられなかった。一石投じたいとかぶちかましたいとかのテンションではなく、前回もやったしじゃあ今回もというある種ルーティンに近い感じがどうしても拭えなかった。それを出したらTriggerはTriggerでなくなる。そう強く感じた結果、エントリーをキャンセルした。
それからの1年間。なぜか妙に自分の過去を誰かに話す機会が多かった。自分が大学生活を送った長崎県佐世保市。そこで見た風景、体験したこと、忘れられない味。喋っていくうちに色々思い出してきた。
懐かしくて「Googleストリートビュー」で街並や当時住んでいた辺りを見た。15年以上も前なので当たり前だがずいぶん変わっていた。JR佐世保駅周辺には大きな商業施設が出来て垢抜けた雰囲気になり、大学近辺の店や施設など当時のままのものも自分の記憶と違っていたりもした。もう自分の知っている街ではなかった。
今の自分が「想う」街は1999年の佐世保市だ。もう二度と行くことの出来ない「過去の街」を想う「マチオモイ帖」。Triggerではなく一個人として「佐世保帖」を出展する。あの頃の記憶の欠片を集めていく作業。そしてそれを自由に物語として再構成していく。
それからの1年間。なぜか妙に自分の過去を誰かに話す機会が多かった。自分が大学生活を送った長崎県佐世保市。そこで見た風景、体験したこと、忘れられない味。喋っていくうちに色々思い出してきた。
懐かしくて「Googleストリートビュー」で街並や当時住んでいた辺りを見た。15年以上も前なので当たり前だがずいぶん変わっていた。JR佐世保駅周辺には大きな商業施設が出来て垢抜けた雰囲気になり、大学近辺の店や施設など当時のままのものも自分の記憶と違っていたりもした。もう自分の知っている街ではなかった。
今の自分が「想う」街は1999年の佐世保市だ。もう二度と行くことの出来ない「過去の街」を想う「マチオモイ帖」。Triggerではなく一個人として「佐世保帖」を出展する。あの頃の記憶の欠片を集めていく作業。そしてそれを自由に物語として再構成していく。
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machi-omoi-cho,
zine
2013-10-17
peter caxton・1
自分の文章だったり物語だったりをこうしてブログサイトで綴っていくからには、彼のことを避けて通ることは出来ないだろう。
ピーター・キャクストン。
今ではどこでどうしているのか、生きているのか死んでいるのかさえも分からない。でも、きっとどこかの酒場でまた誰かに嘘か本当か分からない話をしてニヤリと笑っているんだろう。喋り過ぎて温くなったビールを不味そうに飲むんだろう。そしてグラスを持つ反対の手でカウンターを鍵盤に見立てて叩くんだろう。いつもそうだったし、そうであって欲しいという僕の願望かもしれない。
音楽の世界から言葉の世界にやってきた詩人、ピーター・キャクストン。
嘘と真実が渦巻く言葉の世界に僕を引き込んだのは、彼だった。
ピーター・キャクストン。
今ではどこでどうしているのか、生きているのか死んでいるのかさえも分からない。でも、きっとどこかの酒場でまた誰かに嘘か本当か分からない話をしてニヤリと笑っているんだろう。喋り過ぎて温くなったビールを不味そうに飲むんだろう。そしてグラスを持つ反対の手でカウンターを鍵盤に見立てて叩くんだろう。いつもそうだったし、そうであって欲しいという僕の願望かもしれない。
音楽の世界から言葉の世界にやってきた詩人、ピーター・キャクストン。
嘘と真実が渦巻く言葉の世界に僕を引き込んだのは、彼だった。
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peter caxton
2013-10-01
誰にでも書ける
文章は誰にでも書ける。義務教育を卒業していたら、たいていのものは書ける。現に多くの人がブログを書いてツイッターでつぶやいて情報を発信している。誰にでも書けるのだ。しかもセンスのいい人たちは山ほど居る。その誰でも書ける文章で報酬をもらう自分は厚かましいのだろう。
誰でも書ける文章ではあるが、なかなか書けない「すごい文章」というのはある。文豪と呼ばれた作家たちの書く文章の美しさはどこまでも美しい。トップを走り続けるコピーライターの書く一行のコピーにハッとさせられる。寝ることを惜しむ程に読み手を引き込む筆力を持つ数多の作家たち。
推測なんだけど、上手く書こうとか売れようとかは思ってないんじゃないかな。これを書かないと自分がどうにかなってしまいそうだとか、素直に感じたこととか、このイメージをなんとか色んな人に伝えたいなとか、その自由な想いにセンスと技術が合わさってるんだ。枠のない自由な発想をカタチにすることは誰にでも出来ることじゃないんだろう。それが少ーしだけ出来るから報酬をもらってるんだ。もらえないときもあるんだけどね。
だからもっと自分の枠を外していきたいんだ。
2013-09-11
Independent Text Label
zineレーベルとして動き出していこうとしていたが、この夏の間、色々考えていた。自身のこと、技術のこと、このレーベルのスタンスのこと。
自身については人間としてどうなのよというレベルでの考えと修正。正直なところこれまで「真面目に頑張り過ぎ」ていた。誰かの期待に応えようとなんて思っちゃいかん。それは自分の本懐ではない。自分の期待だけに応えておけばいい。期待値ゼロで生きていくためには自分自身をコントロールしなくちゃならない。そのためにこの夏は生活リズムを変えることに必死だった。
技術はそうね、トータルクリエイターとしてやってきたけど、やっぱり自分には文章がしっくりくるような気がする。デザインやったりしてるけどあくまでもそれは「セカンダリ」。「プライマリ」は文章だと思う。「このレベルのデザイン力でよければやらせてもらいますが・・・」ってお断りを入れなきゃダメなレベルだからな。やっぱ順序は大事だよ。
となると自ずとこのブログのスタンスも変わるよね。zineは自分の文章でアウトプットする形の一つ。それに限定してしまうのはもったいないわ。ラジオCMなどのお仕事も一つのアウトプット。ブログも一つのアウトプット。
自分らしいアウトプットをしてくことにするから、このレーベル、ちょっと変えたんだわ。
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