自分の中にある合格点の低さ、と言い換えてもいい。
頭の中にあって、それも具体的にあって、ああこれはアウトプットしようかなって考えるんだけど、でもなぁ・・・どうせやるんだったらちゃんとしないと格好つかないよなぁ・・・やったとして、これ見た人がどう思うかなぁ・・・って思ってしまう。もうちょっといい評価がもらえるようになってから出そう。で、やらない。そう考えてやってこなかった。
もう何年も前に近代美術の展覧会で衝撃的な作品を見た。鉛筆でサインされた古い木箱。それが厳重なガラスケースに入れられて展示されている。え、これ、作品か?でも有名な作品のようだった。価値があるらしい。世界的に評価されているようだ。作品の素晴らしさは全く理解出来なかったが、衝撃は受けた。
そして数年前。神戸のアートイベントで展示されていた作品にも同じような衝撃を受けた。1センチ位の大きさにカットされた木片。それが作品としてネームプレートを付けて展示されていた。作品名は「木片」。そのままやないか!やはり衝撃だった。
木箱にしても木片にしても、作り手にとっては最高の作品だったんだろう。何かイメージしていたものが完全に表現出来た。もう同じものは作れない。きっとやりきったのだろう。そして彼らは評価を一切気にしていない。自分の物差しで考えている。自分こそがが基準なのだ。評価はされた方がいい。でも「100%の評価」を求めていたらいつまでたってもアウトプットできない。だから「しきい値」を下げる。
まだ見ぬ評価のことは一旦忘れて自分がやりたいことをアウトプットしていこう。
そう、木箱と木片が教えてくれたのだった。
「ねぇ、あなたはどこに向かって歩いているの?」
「僕が行きたい所だよ」
「それはどこにあるの?」
「この箱庭の果て、そう最果てにあるんだ」
「箱庭だなんて!バカみたい!最果てなんてあるものですか」
「まるで世界の全てを見てきたような口ぶりだね」
「この世界が箱庭だなんて!」
「ああ、君。羊の数を数えるだけじゃ、いい夢は見れないんだよ」
2014-03-23
2014-02-27
文章zineにこだわってみた
マチオモイ帖に出展する「佐世保帖」が出来上がったのは締め切り日である2月14日だった。
個人の名前が入った本を作ったのは初めてで。A5サイズのzine(ジン)。束の端をホッチキスで留めて両面テープで表紙を付けた。その瞬間、紙の束はその存在を本に変えた。
やったーとか嬉しいーというより、「ほー」っと思った。安堵なのか分からないけど、単純に「ああ、本になったわ」と、当たり前の事を思った。この感覚はTriggerで蜆楽奇譚帖を作った時にも感じた。何度味わっても独特の「ほー」が出てくる。
この本を書く時に決めたのは、文章だけにしようということだった。文章家としての存在意義を一度出し切ってみようかと。だから文章とレイアウト以外の目で見て分かるイラストや写真は一切入れなかった。ただ、途中欲目は出た。1枚だけ紙焼きした写真を最後のページに貼ってみようかなとか思った。でもやっぱ違うよ、俺、写真家じゃないじゃない。イラストレーターでもないじゃない。文章家でしょ?じゃあ文章で押し切れよ。写真入れたいんだったら最初から写真家と組めよ。イラスト入れたいんだったらイラストレーターと組めよ。今回は文章本にするって決めたじゃないか。そんなことも考えたりして書いてた。
本という形にするのは久しぶりの事で、楽しい作業だった。印刷をお願いしたロコプリさんのご厚意でずいぶんいい紙を取り揃えてもらってびっくりするくらい上質な本になった。ロコプリさんの大将の「応援してやる!」っていうその気持ちがとても嬉しかった。またいろいろお願いしよう。
やはりzineは面白い。もうちょっと荒い感じの本とか作ってみたくなる。自由過ぎるアウトプットはいつだって面白い。
『my home town わたしのマチオモイ帖』
わたしのマチオモイ帖 公式サイト
【東京会場】
会期:2014年2月28日(金)~3月23日(日)
11:00~19:00(会期中無休)
会場:東京ミッドタウン・デザインハブ
東京都港区赤坂9-7-1
ミッドタウン・タワー5F
入場無料
【大阪会場】
会期:2014年3月7日(金)~3月29日(土)
平日:11:00〜21:00
土日祝:11:00〜19:00(会期中無休)
会場:メビック扇町
大阪市北区扇町2-1-7
関テレ扇町スクエア3F入場無料
「佐世保帖」という本で出展しています。会場で見かけましたらぜひ手に取ってご覧くださいませ。
Category
machi-omoi-cho,
zine
2014-02-12
思い出を再構成した物語
マチオモイ帖の原稿を印刷に出した。明日には刷り上がってホッチキスと両面テープで自家製本をしていく。物語のような詩のような散文のようななんともはっきり分からない自由過ぎる文章を12編書いた。
いろいろ思い出して何かと何かを組み合わせて構成する。コラージュってこんな感じかな。例えばあの人の人格とこの人のエピソードを合わせて一つのキャラクターにしたり、印象的だったアイテムを関連の無い場所で使用させてみたり。結果、ノンフィクションのパーツを使った、「フィクション」が出来上がった。
きっと知らない人が読んだら体験談だと思うんだろうけど、全然違う。でも全てを説明する事が出来る。
このお話を作るにあたって色んな人を思い出した。お世話になった皆さんは当たり前なんだけど、それこそ一回しか喋った事のないような人を急に思い出したりした。記憶の引金ってあるんだなぁ。
書き上がった日に、大学の恩師から「元気にしてますか?」ってメールが来たのは驚いた。ただ、この本を先生に送るのはちょっと気が引ける。そんなナイーブなキャラじゃなかったじゃんって言われそうで。
いろいろ思い出して何かと何かを組み合わせて構成する。コラージュってこんな感じかな。例えばあの人の人格とこの人のエピソードを合わせて一つのキャラクターにしたり、印象的だったアイテムを関連の無い場所で使用させてみたり。結果、ノンフィクションのパーツを使った、「フィクション」が出来上がった。
きっと知らない人が読んだら体験談だと思うんだろうけど、全然違う。でも全てを説明する事が出来る。
このお話を作るにあたって色んな人を思い出した。お世話になった皆さんは当たり前なんだけど、それこそ一回しか喋った事のないような人を急に思い出したりした。記憶の引金ってあるんだなぁ。
書き上がった日に、大学の恩師から「元気にしてますか?」ってメールが来たのは驚いた。ただ、この本を先生に送るのはちょっと気が引ける。そんなナイーブなキャラじゃなかったじゃんって言われそうで。
Category
machi-omoi-cho,
zine
2014-01-09
マチオモイ帖
大阪の「メビック扇町」と「東京ミッドタウン・デザインハブ」で開催される『マチオモイ帖』に出展することにした。2012年にはTriggerとして「蜆楽奇譚帖」という作品を発表している。2013年はパスした。テキストはほぼ出来ていたが「蜆楽奇譚帖」のとき以上の熱量が自分の中で感じられなかった。一石投じたいとかぶちかましたいとかのテンションではなく、前回もやったしじゃあ今回もというある種ルーティンに近い感じがどうしても拭えなかった。それを出したらTriggerはTriggerでなくなる。そう強く感じた結果、エントリーをキャンセルした。
それからの1年間。なぜか妙に自分の過去を誰かに話す機会が多かった。自分が大学生活を送った長崎県佐世保市。そこで見た風景、体験したこと、忘れられない味。喋っていくうちに色々思い出してきた。
懐かしくて「Googleストリートビュー」で街並や当時住んでいた辺りを見た。15年以上も前なので当たり前だがずいぶん変わっていた。JR佐世保駅周辺には大きな商業施設が出来て垢抜けた雰囲気になり、大学近辺の店や施設など当時のままのものも自分の記憶と違っていたりもした。もう自分の知っている街ではなかった。
今の自分が「想う」街は1999年の佐世保市だ。もう二度と行くことの出来ない「過去の街」を想う「マチオモイ帖」。Triggerではなく一個人として「佐世保帖」を出展する。あの頃の記憶の欠片を集めていく作業。そしてそれを自由に物語として再構成していく。
それからの1年間。なぜか妙に自分の過去を誰かに話す機会が多かった。自分が大学生活を送った長崎県佐世保市。そこで見た風景、体験したこと、忘れられない味。喋っていくうちに色々思い出してきた。
懐かしくて「Googleストリートビュー」で街並や当時住んでいた辺りを見た。15年以上も前なので当たり前だがずいぶん変わっていた。JR佐世保駅周辺には大きな商業施設が出来て垢抜けた雰囲気になり、大学近辺の店や施設など当時のままのものも自分の記憶と違っていたりもした。もう自分の知っている街ではなかった。
今の自分が「想う」街は1999年の佐世保市だ。もう二度と行くことの出来ない「過去の街」を想う「マチオモイ帖」。Triggerではなく一個人として「佐世保帖」を出展する。あの頃の記憶の欠片を集めていく作業。そしてそれを自由に物語として再構成していく。
Category
machi-omoi-cho,
zine
2013-10-17
peter caxton・1
自分の文章だったり物語だったりをこうしてブログサイトで綴っていくからには、彼のことを避けて通ることは出来ないだろう。
ピーター・キャクストン。
今ではどこでどうしているのか、生きているのか死んでいるのかさえも分からない。でも、きっとどこかの酒場でまた誰かに嘘か本当か分からない話をしてニヤリと笑っているんだろう。喋り過ぎて温くなったビールを不味そうに飲むんだろう。そしてグラスを持つ反対の手でカウンターを鍵盤に見立てて叩くんだろう。いつもそうだったし、そうであって欲しいという僕の願望かもしれない。
音楽の世界から言葉の世界にやってきた詩人、ピーター・キャクストン。
嘘と真実が渦巻く言葉の世界に僕を引き込んだのは、彼だった。
ピーター・キャクストン。
今ではどこでどうしているのか、生きているのか死んでいるのかさえも分からない。でも、きっとどこかの酒場でまた誰かに嘘か本当か分からない話をしてニヤリと笑っているんだろう。喋り過ぎて温くなったビールを不味そうに飲むんだろう。そしてグラスを持つ反対の手でカウンターを鍵盤に見立てて叩くんだろう。いつもそうだったし、そうであって欲しいという僕の願望かもしれない。
音楽の世界から言葉の世界にやってきた詩人、ピーター・キャクストン。
嘘と真実が渦巻く言葉の世界に僕を引き込んだのは、彼だった。
Category
peter caxton
登録:
投稿 (Atom)